【起業家から学ぶ】スティーブ・ジョブズが失敗を乗り越えAppleを救った考え方

皆さん、スティーブ・ジョブズという人をご存知でしょうか。
「もちろん名前は聞いたことあるけど、Appleの人・iPhoneの人のイメージしかない。」
僕も最初はそうでした。iPhoneの発表会見があまりにも有名なため、
当時学生だったこともありそういった断片的なイメージしかなく、
亡くなったと報道されてやっとどういった人物かを知っていったのを覚えています。
そんな世界中を熱狂に包んだカリスマ的なパイオニア、スティーブ・ジョブズについて
ご紹介させていただきます。

スティーブ・ジョブズ

1955年2月24日誕生後、2011年10月5日に亡くなるまで数多くの偉業を成し遂げました。
現在、シリコンバレーとして知られるカルフォルニア州のクパチーノにて
養子となり、養親によって育てられました。
彼は多くのことに興味を持ち、特に工学という分野への関心は強かったようです。
大学時代では、デザインなどにも興味を持ち1973年には
ノーラン・ブッシュネルという男に惹かれ、ビデオゲームの開発にも携わっていきます。
ノーラン・ブッシュネルとはビデオゲーム会社のAtari(アタリ)の創業者として知られ、
数々のヒットゲームを誕生させる「ビデオゲームの父」として知られた人物です。
そのほか、大学を中退した19歳ごろにはインドへ旅立ち仏教、禅(ぜん)について学びます。
こうしたことから、様々な分野に興味を持ってすべてに対して全力で
立ち向かっていったかということが分かりますね。

そして1974年の秋にシリコンバレーへと戻ってきた彼は、
当時別の会社へ勤めていた、高校時代の友人でありエンジニアのスティーブ・ウォズニアックと
再開し、一緒に事業を始めていきました。
スティーブ・ウォズニアックはご存知の通り、Apple Computer Inc.の共同設立者であり
アップルコンピュータ(Macintosh)の開発者です。

Apple追放される

スティーブ・ジョブズは天才的なひらめきと技術でAppleに貢献しましたが、
周りが迷惑するレベルの完璧主義者だったのです。
最初は、エンジニアたちを甘やかしていたのか、
「君たちはアーティストだ」と呼んだりもしていたが、妥協を決して許さなかった。
オリジナルのMacintoshコンピュータを開発する際にも、彼が細かい調整であったり
デザイン面など、自分のデザインに対する美学に反していた場合幾度となく
改善や破棄を繰り返しました。そして、その基準に従わなかった従業員を次から次に
解雇していくなど異常なまでの完璧主義があらわとなります。
製品自体は非常に出来のいいものでしたが、そのリーダーシップのスタイルがあまりにも
周りに悪影響を及ぼしていたため、内部の反発はもちろんですが
自分自身が引き抜き当時のCEOにしたジョンスカリーと
対立してしまい、会社を追放されてしまいます。

Apple追放後の仕事について

Appleを追い出されたスティーブ・ジョブズは立ち止まることを知りません。
NeXT社という会社を設立し、教育市場向けのコンピュータなどを手掛けた後に
ハリウッド映画監督ジョージ・ルーカスの制作会社、ルーカスフィルム社の
アニメーション部門ピクサーを買収し、アニメーション制作へと取り組んでいきます。
こうして10年間アニメーション作品を作り続け、フルCG長編アニメ「トイストーリー」を
制作しました。ご存知の通り「トイストーリー」は大ヒット作品。
これを機にピクサーも一躍有名制作会社となり、スティーブ・ジョブズは初めて
億万長者へとなることが出来たのです。
そして2006年にはピクサーをディズニーカンパニーへ売却します。

そのころAppleでは

1996年後半から、様々な問題が起きAppleは
巨額の経済損失に悩まされ業績不振に陥っていました。
そんなときに、Next社はAppleによって買収されることとなり
スティーブジョブズはAppleへ戻るどころか暫定CEOとして返り咲きました。
そうして、コンピュータの機能を再定義したiMacの発売、Microsoftとの資本連携など
見る見るうちに Apple者の業績は伸び続けていくのです。
2000年代では、音楽業界に革命をもたらしたであろうiPodの発売によって
あらゆる層から注目される企業へと変化していきました。
そうして、日本人の約7割が持っているiPhoneの責任者となりました。

失敗から学び次へ活かすということ

残念ながら、彼は2011年にこの世を去りました。しかしこうして
私たちへiMacやiPhoneなどのガジェット、トイストーリーのような
夢のあるアニメーション作品、彼自身の生きざまと考え方を残してくれています。
少なからず世界を変えた一人ではないでしょうか。
起業家としては、あまりにも無謀なリーダシップを発揮することもありましたが
考え方自体は誰よりも真っすぐで決してあきらめず目標を追い続けました。
この類稀なやり方で失敗を経験しながらも、大きく成長できたのは
リスクを冒してでも自分自身の見たい結果に真剣に向き合ったからかも知れません。
Appleでの失敗こそが彼の人生を定義づけるための大きな原動力となり、
数々のビジネスで成功を収めたのではないでしょうか。

 

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